9月17日、東京における第18回アルツハイマーデー記念講演会では、特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医・石飛幸三氏による「変革の時を迎えた高齢者終末期医療」が開催された。
石飛氏が着任した当時の芦花ホームは、誤嚥で亡くなった入所者の家族と裁判になるという不幸な出来事があり、それ以降、神経をとがらせた施設側は、少しでも不安があると入所者を病院に送り込むのが常となったそう。家族会は施設に不信感をもち、「自分達に何ができるのか」「仕事の意味がわからない」と悩んだ職員は次々とやめていくという、難しい状況での着任だった。
萎縮する介護の現場で、胃ろうをしない、栄養を減らすという画期的な取り組みができたのは、理解のある家族の力が大きかったと石飛氏は言う。「うちの島では、年寄りが食べられなくなったら水だけにし、食べ物は横に置いて本人に力があれば食べるのにまかせる。それで1か月生きた人がいる」と教えてくれた離島出身の人。86歳の奥さんの胃ろうを断り、自らが食べさせることを選んだ旦那さん。食べられる時は食べさせる、食べられない時は食べさせないというスタンスで、600キロカロリーのゼリー食だけで1年半生命を保った。「その方は徐々に眠ることが多くなり、何も食べなくなって、ある日ついに息を引き取りました。最後までおしっこが出て、手足はむくんだりしない。表情は穏やかでした。その方によって、自然な死というものをスタッフ皆が学ばせていただきました」。
医師、看護師、介護士、家族。患者を見守る様々な立場の人が、想いを同じにした時に、その人の尊厳を大切にした看取りを行なうことができる――石飛氏の話から教えられたことだ。
「病気と老衰は違うものなのに、過程は同じ顔をしている。違いを判断するには、ある時点だけ接触しているだけではわからないものです。長い経過を一緒に支えた人にしかわからない。訪問看護師やケアマネジャーなど家族に寄り添い、長く接している人にはわかる。常勤の医者で毎日顔を合わせている私にもわかります」
多くの人が「自然の死」を迎えられるようになるには、医療の側の理解が深まることが不可欠だが、画一的な医療に疑問をもつ医師は少しずつ増えていると言う。
「認知症は特別に病気ではない。いずれ行く道と心から思う」と語る石飛氏。時にユーモアも交えた温かな語り口の講演は、聴衆に深い感銘を与えてくれた。講演後の質疑応答では、次々と手が挙がり、高齢の親を今まさに介護している人、認知症の母の胃ろうを断り、穏やかな最期を看取った人、特養で働くことに迷いを感じていたが、今日の講演を聞いて「頑張ろう」と思いを深めたと言う看護師の女性も。「自然な最期」を看取ることへの共感と、介護への自信が伝わってくる場となった。
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