元金メダリストのケアマネに聞く―新春特別インタビュー【前編】

“オリンピックイヤー”となる今年は、ケアマネジャー創設から20年の節目。そこで今回は、元メダリストのケアマネにスポットを当てたい。1988年のカルガリー五輪、スピードスケート・女子ショートトラックで金メダルに輝いた獅子井英子さん。当時は正式種目ではなかったが、冬季五輪における日本人女性初のメダリストだ。引退後は、祖父の介護をきっかけにヘルパーに転じ、現在、埼玉県内の特別養護老人ホームで副施設長を務めている。前編では、これまでのキャリアについて聞いた。

―東京のご出身と伺いました。スピードスケートは北海道や長野のイメージが強いですが、始めたきっかけは?

たまたま、小学校と中学校が一緒だった幼馴染に誘ってもらったんです。ご両親がやっていたこともあって、その子もショートトラックのチームに加入していました。当時、フィギュアの選手はいましたけど、ショートトラックをやっている人は珍しく、女子で同じぐらいの年の子がいないからと誘ってもらったことがきっかけです。


個人3千mで熱戦を繰り広げる獅子井さん(ご本人提供)

介護の仕事を始めたのはいつですか。

2001年にヘルパー2級の資格を取り、その1年後ぐらいから、埼玉で登録ヘルパーの仕事を始めました。

―なぜ介護の世界に?

祖父が脳梗塞で倒れ、5年ほど、家で面倒を見るようになったことがきっかけです。ちょうど子育てをしていて、仕事をしていなかったので、母の介護を手伝いました。

まだ介護保険が始まる前、措置の時代のことで、当時は、全く知識がない中でケアをしていました。オムツ交換にしてもトイレにしても、今なら何の問題もなくできると思うんですけど、その時は失禁してしまうと、「わー、どうしたらいいんだろう」とパニックになっていました。

祖父が亡くなった後、足が不自由なお年寄りが困っていると、つい手を差し伸べたくなりましたし、「もっと介護の知識があれば、あの時、もう少し楽をできたのかな」という気持ちもありましたね。子育てが一段落し、どんな仕事をしようか考えた時、迷わず介護の世界に入りたいと思ったんです。

―祖父の介護をしていたのは、おいくつの時ですか。

子供が生まれていたので、たぶん1993年ごろだったと思います。子供たちが、祖父のベッドの周りをちょろちょろしていましたから。

―指導者の道もあったと思いますが、スケートに対する未練はありませんでしたか。

そうですね、私はカルガリー五輪が終わってすぐ、選手としては引退しました。19歳で父を亡くしたので、現役時代、スケートを続けるべきか悩んだ時期もありました。引退後の1年半ぐらいは、スケート教室をやったり、実業団でコーチをしたりしていました。実業団への恩返しというか、力になれることがあればやりたいと考えていたんです。


表彰後の取材対応の一コマ(ご本人提供)

でも、外で仕事をしながら、祖父と祖母の世話をする母を見て、スケート界に残るよりは、家族孝行をしたいと思い、(日本スケート)連盟には申し訳なかったんですけど、競技の世界から完全に身を引きました。

■ヘルパーから転身、特養の副施設長へ

―その後、どのように介護のキャリアを積んでいったのですか。

最初は、登録ヘルパーとして3年働きました。当時、シングルマザーとして子育てをしていたので、子供が学校に行く時間はシフトから外してもらい、9時半から17時ぐらいまでの仕事を何件かやらせていただきました。子供が帰宅する時間にいったん戻り、食事が終わってから、また近くのお家を訪問する生活を送っていましたね。

ただ、登録だったので、利用者さんが入院されてしまうと、その方のケアがなくなってしまいますし、なかなか生活が安定しませんでした。ヘルパーを3年経験したので、「次はデイサービスで働きたい」「介護のいろんな仕事をやってみたい」という思いもありました。求人を探していた時、たまたま、今働いている特養デイサービスが募集していた縁で、こちらにお世話になることになりました。

ケアマネの資格を取ったのはいつですか。

2回目の更新の案内がきているので、10年ぐらい前だと思います。デイサービスには7年いましたが、その間、介護福祉士とケアマネの資格を取りました。ケアマネを取った年に居宅に異動になり、そこで1年間、ケアマネの仕事をさせていただき、再びデイサービスに戻った後、6年前に今の職場に来ました。

介護は全くの畑違いですが、戸惑いはありませんでしたか。

介護そのものに戸惑いを感じたことはありません。ただ、ヘルパーとして働き始めたのが、介護保険が始まって間もない時だったので、その方の要介護度が軽ければ軽いほど、家政婦さんのような扱いを受けることはありましたね。ケアをさせていただくというプロ意識を持って伺っていたので、最初は少しショックでしたが、年を追うごとにヘルパーの認知度も上がり、状況は少しずつ変わっていきました。

■競技経験が介護の仕事にも生きる

―スケート競技をやった経験が、介護の仕事に生きていると感じる瞬間はありますか。

スポーツの世界は、上下関係やライバル関係の中で、常に最高のパフォーマンスを発揮することが求められますが、トレーニングを積み重ねていく過程で、いい結果が出る時もあれば、出ない時もあります。介護の仕事でうまくいかない時、どんな努力が必要なのか、どうすればできるようになるのかと試行錯誤を繰り返しながら、良い結果に結び付けるという発想は、間違いなくスケートを通してつくられたものだと思います。

あとは体調管理。現役時代、冬に結果を出さなければならなかったので、体調を崩さないよう、常に体のメンテナンスをしていました。介護の現場では腰痛予防も大事ですから、現役を退いてからも、ストレッチは必ずやっています。こうした体調面の管理、例えば、風邪をひかないためにどう節制すべきなのかという考え方が、今もすごく役立っていると思います。

―現在、特養の副施設長を務めています。管理者のお仕事についてはいかがですか。

スケートは個人競技なので、自分が頑張ればいい結果が出るし、駄目だった時は、すべて自分の責任と思ってやっていましたが、介護の現場にはさまざまなタイプの職員がいて、目標達成に向けたアプローチもそれぞれ異なります。この職員には、この言い方では伝わりにくいということもあれば、叱咤して大丈夫な職員には、悪い点もきちんと伝えますし、個人個人にどう接したらいいのか、すごく悩みますね。

研修や勉強会にも積極的に参加し、いろいろ学ばせてもらっています。むしろ、競技を退いてから勉強しているところです。

東京五輪をケアに生かす工夫とは?―新春特別インタビュー【後編】

獅子井英子(ししい・えいこ)
1965年、東京生まれ。85年と87年に、ショートトラックの世界選手権で優勝し、「ショートの女王」と呼ばれる。88年のカルガリー五輪では5種目に出場し、女子3千メートルで金メダル、女子3千メートルリレーで銀メダルに輝き、冬季五輪史上初の日本人女子メダリストとなった。引退後、2002年から介護の仕事に就き、現在、埼玉県熊谷市の特別養護老人ホーム「立正たちばなホーム」で副施設長を務める。介護福祉士、ケアマネジャー認知症ケア専門士、健康管理士の資格を持つ。

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