1964年の「東京五輪」は、日本の社会全体にも大きな変化をもたらしました。
■国家予算の3分の1に相当した莫大なインフラ整備費
まず挙げられる変化は、急激で大規模なインフラ整備です。東海道新幹線や首都高速道路が誕生した話は有名ですが、地下鉄や東京モノレールの整備も進められました。当然ながら費用も莫大でした。東京五輪の総事業費は1兆円を超えましたが、その97%はインフラ整備のための予算でした。64年当時の国家予算は約3.3兆円です。東京五輪に向けたインフラ整備は、国家予算の3分の1に相当する資金をつぎ込んだ超巨大事業だったのです。
インフラのほか、各種施設や会場の整備も進められました。現在でも使われているものとしては、国立代々木競技場や日本武道館、渋谷公会堂などがあります。
■64年の「おもてなし」精神が生んだもの
多くの観光客を受け入れるため、千代田区紀尾井町にある「ホテルニューオータニ」もオープンしました。17階建てで客室数は1058室(当時)、最大級の回転展望ラウンジも備えたこのホテルの建設が始まったのは63年4月。竣工は64年8月です。着工からわずか1年5カ月で完成したわけです。
奇跡のような工期短縮に大きく貢献したのが、東洋陶器(現・TOTO)が開発したユニットバスでした。
東洋一とうたわれた名ホテルも、日本人の生活を大きく変えたユニットバスも、64年当時の「おもてなし」の精神から生まれたものといえるでしょう。
東京五輪の開催はテレビの普及も後押ししました。59年には23.6%だった普及率は、64年には87.8%に達しています。ちなみに当時、主に普及したのは白黒テレビ。カラーテレビが一般家庭に普及するのは、70年代後半のことです。
■暦にも刻まれた開会式
64年の東京五輪の開会式は10月10日でした。それを記念し、66年から99年まで、10月10日は国民の祝日(体育の日)となりました。なお2000年以降、体育の日は10月第2月曜日に変更されました。そして今年、体育の日は「スポーツの日」に改称されます。さらに今年だけは、東京オリンピックの開会式に合わせて、7月24日がスポーツの日となります。