2017年4月、新年度ですね!皆様、お忙しいこととお察しいたします。
巷には新入社員の黄色い声が響き、勢いがあっていいねえと眺めております。そんな中、黄色い声で傾聴するのはどうなのか、ふと考えました。保健医療や介護現場に関わらず、人間関係で求められる「傾聴技術」。しかし、そもそも会話の好みもあるし、個人的には各人の“聞き取りする理解力”が表面に出ているかどうか(伝え合えるかどうか)で安心感や場の共有感が生まれる気がします。
私は短大で「心理学コース」を専攻しましたが、教授から「傾聴なんて、ひたすら同じ言葉を復唱していればいいのだ」という説明に「は?なんてつまらない!会話にならん!」と、10代後半の乙女(私)は黄色い声で提唱した記憶があります。
すっかり声もマスタード色になった現在、難聴の方の耳元で「今日のお加減はいかがですかー」と叫ぶ私。難聴の方への傾聴は全身運動でお伝えしています。大きなうなづきや大きな喜怒哀楽表情。そうすると利用者様の表情もつられて大きくなったりします。
反対に認知症のご婦人で「私は人の話を聴くのが上手」「何か話して」と逆傾聴を求める方もおられます。そういった方に「私は音楽が好きです」とお伝えすると「実は私の祖父は謡曲の師匠だった」と話してくださり、観世流謡曲など一緒にスマホで探しました。さすがに謡曲は覚えられないので、遠距離の娘様が買ってくださった童謡の歌詞本を出して「さくら」「おうまのおやこ」など合唱したら、今は訪問の終わり5分に息子様も同席して一緒に歌っています。
さて、失敗談も。
学生実習の時、授業で耳にタコができるほど撃ち込まれた「傾聴」を発揮すべく病室に行き、カルテに「無口で職人気質」と記載された患者様と、楽しく会話しているつもりでいたら「おまえ、なんでもうんうん返事すりゃいいってもんじゃねえ!おまえの意見はあるのか!!」と叱られました。
ナースルームに戻って「傾聴したのに叱られました。ぐすん…」と担当看護師さんにお伝えしたら、「そりゃ、患者様はあなたの話を聴きたかったってことでしょ。傾聴って、相手の話を聞き流すことじゃないのよ」と。腑に落ちない。教科書と違う。「聞き流してないもん。ぐすんぐすん…」と叱られたショックで冷静になれない私に、看護師さんは「3人で散歩に行こう」とご提案。
患者様は、泣き顔の私を見て大変驚き、狼狽され、2週間の実習の中で一番表情が丸出しになった瞬間でした。散歩しながら看護師さんが「Aさん(患者様のお名前)のあんな困った顔、初めて見た。手術後の麻酔が切れた時も平然としてたのにねえ」と患者様に話しかけます。車いすに乗った患者様は、私たちからお顔が見えないところでバツが悪そうに答えてくれました。
「いや、女・子どもを泣かすつもりはなかった・・・モゴモゴ」
「じゃあ、男はたくさん泣かせた?職人さんて上下関係が厳しいでしょ?」
「俺は自分が理不尽なことを言われて嫌だったから、後輩には技を見て、盗むように言って覚えさせた。質問には答えた」
私は黙って車いすを押しながら、看護師さんの柔らかい表情と、徐々に楽しそうになっている患者様を見ていました。二人とも素敵!…でも、散歩終わりに、「看護学生は一生懸命すぎていつもより頭悪くなってんだから、まずは見て盗めって教えてあげてくれないと。頼みますよ」と言われ、「そうかい!そりゃ悪かったな。ガハハハハ」で締められ、立場はなかったです。
相手が望む対話のリズム、自分が得意なリズム、同じ空間にいながらリズム感を一緒に楽しめたら、それでいいか!と「自分なりの傾聴」を整理できた出来事でした。
皆様、自身の乗りやすいリズムも大事に、新年度もよろしくお願いいたします!