東日本大震災から6年が経ちます。夫の実家は福島県相馬市、妹や親戚も近くに住んでいます。あの大きな揺れの後、実家の両親や妹と連絡が取れましたが、津波の後に妹や親戚と連絡が取れない日が数日続き、心配したことを覚えています。
幸い皆無事で、それぞれの自宅も大きな損傷を得ずに済みましたが、放射能の不安から両親はしばらく自宅から出られない日が続きました。そのためか、父の認知症が進み、母は余震の恐怖もあって、精神的に不安定な状態に陥りました。
少しずつ復興は進み、日常生活は取り戻しつつありますが、父は認知症の進行から、自宅での生活が困難になり、今は住み慣れた福島を離れ、グループホームで生活しています。表面的には落ち着きを取り戻していても、目に見えない部分に深刻な被害があるのかもしれません。あの地震がなかったら、両親は違った生活を送っていたかもしれない…と時々思います。
あの日、私は千葉にあるデイサービスで働いていました。ちょうど午後の入浴が済み、くつろいでいる時間に大きな揺れに見舞われました。今まで経験したことのない大きな揺れに動揺し、思うように動くことができません。足がガクガク震えているのがわかります。それでも、利用者さんを守ることが務めと、座布団などを頭に乗せてもらい(お身体の状態から、テーブルの下にもぐることのできる方は少数でした)その場を動かないように伝えるのが精一杯でした。落ち着いて対応することができず、おそらくは顔も引きつっていたのだと思います。
そんな時、近くに座っていらした95歳のおばあちゃまが「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」と満面の笑みで声をかけてくれたのです。その言葉で、ふっと我に返りました。「そうだ。大丈夫。大丈夫」その後、どのように行動したのか今になるとはっきり覚えてはいないのですが、誰一人けがなどすることなく、ご自宅にお送りすることができました。
あの笑顔がなかったら、きっと冷静に行動することはできなかったでしょう。
介護の仕事は、お年寄りの世話や介助をすることと思われるかもしれませんが、実は私たちの方が力をもらったり、助けられたりしています。あの時、言葉をかけてくれた方は、地元で漁の仕事を手伝いながら、子育てをして家庭を支えてきました。あの何事にも動じない姿勢は、そんな人生経験から来ているのでしょう。
100年近く荒波を生きてきた方の足元にも及ばない…目指すべき人生の大先輩と一緒に日々を過ごすことができる、介護の仕事をこれからも続けて行きたい、3.11はそう決意した日でもあります。