西洋医学が進み、薬や治療が進化し、いろんな療法が横並びに増えても、長寿国の病気、短命な国々の病気は減りませんね。
こういった医療・看護・介護や福祉の現場の中で、いつも「どうして病気がなくならないのか」と単純に不思議です。
ご相談をいただく看護や介護相談の内容は、やはり認知症の影響で生活に支障が出ていると心配するご家族からが多いです。先日、認知症のご婦人とお話ししていると、「認知症はいいよ!自分は困らない。薬やごはんを忘れても、そんなに怒られる筋合いはない。」「たぶん天才芸術家の脳みそもこんな感じだよ!」と仰っていました。そばにいた家族はそれを聞いて更に怒ってたしなめられていましたが、ご本人はいたってご機嫌よくお過ごしです。
何が「病気」で、何が「健康」の目安なのか。
お医者様とご家族は、「認知症」に各1票。
ご本人は「物忘れはあるけど病気じゃない」に1票。
多数決では決められないと、毎回笑いながら話し合っています。
よく冗談で「健康のためなら死んでもいい」というセリフが出ますが、意外と『健康病』もありそうですね。木を見て森を見ず。森を見て木を見ず。病気を見て個別の治癒力を見ず。身体をみて心を見ず。逆も然り。
結局は、各人の人生哲学を伺いながら、安心して過ごせるお手伝いが適切な対応に繋がります。
痛みが強くてつらいなら、痛みの緩和で一番相性が良い方法を探す。眠れなくてつらいなら、保温か静寂か寝具の調整か、一番快適な方法を探す。両親の心配はできるが、自分が急に認知症と心配されたらどう思うか。限られた時間はどうあるべきか。
自分の頭でまずは整理し、家族親族のテーブルの上に「自分にできること」「手助けがほしいこと」を並べてみることも、家族側の挑戦ですね。