
私が保健師で働いていたころ、医療現場の経験がなかったために、訪問看護ステーションでお勉強させていただいていました。
がんの末期と診断を受けた方のお薬について、看護師さんとお話ししたことが10年以上たった今も心に残っています。
痛みと意識(その人らしさ)についてのお話でした。
痛みから解放してあげたい。そんな思いから、麻薬の調整を進めるけど、
使いすぎると、意識がもうろうとし、その人らしくいられなくなってしまうというもの。
看護師さんは続けて、「私たちの観察がその方の命を決めるの。」といいました。
使命感のある言葉・・・。 私には、疑問でした。
「誰の命?」自分で自分の命を管理できなくなってしまう・・・。
痛くても、自分の命は自分で決めたい。今の医療ではそれは認められないのかも・・・。
医療への疑問は学生のころからありましたが、そこで疑問が大きくなったのを覚えています。
病気が見つかると、医学会がきめた治療指針に従って、治療が進みます。
どのような治療がなされるかについて説明され、治療指針の中から選択肢を渡されます。
その選択肢の数はその先生に大きく依存しますし、
東洋医学や栄養学といったご本人を取り巻く健康に関する選択肢が提示されることはほぼありません。
病んだ臓器を見ることと、その人を見ることは必ずしも一致しません。
ご自身の生き方の指針をご家族と共有しておくこと。ご家族がどのようにその方の「生きる」を支えるかについて、元気なうちから共有しておくことは本当に大切だと、現場にいると感じるんです。




