
保健師は、病気にならないこと、もしくは病気になってもそれ以上悪くならないように、ほかの病気にかからないようにということに重点的を置いて介入します。
訪問看護という仕事をしていても同じです。
がんと告知をされて、「末期」「終末期」などといわれる人生の幕を閉じようとしている方々への支援に入るときも、できるだけ「その人らしく」最期を迎えていただけるようにお手伝いします。
当然と思われるかもしれませんが、「その人らしく」はどのようなことなのか定義づけできる方は少ないのではないでしょうか?明確な定義を私は見たことがありません。
往診の先生は、「無理しないで。」「痛みがあるのであれば麻薬を使用しましょう。」「呼吸が苦しいのであれば、酸素吸入を利用しましょう。」
私を教育してくれた看護師さんは、「麻薬の量によって、その人の意識や命が左右されるの。」「医療者がきちんと見極めなければならない。」と話してくれました。
誰の命なんだろう?? その時、私が抱いた疑問でした。
自分の命を自分で決めることができない世の中なんだ・・・って複雑な気持ちになったのを覚えています。
それまで、一緒に会話を楽しんでいた方が、医療者の言葉によって、
ご自身の健康状態を悪化させてしまったかのように見えることがしばしばあります。
「先生が言うんだもの。自分は末期だし、体調悪いんだ。」
「そういえば苦しい・・・。」
信じがたいかもしれませんが、現場で目にする光景です。
痛みから解放する方法にはいくつかあります。
痛みを感じないようにする、痛みどめや、麻薬。
痛みから注意を外すような、コミュニケーションやマッサージ。
がんの末期の方とかかわる医療職はできることが無いような無力感に襲われ、
患者様のお部屋に伺えなくなることが少なくありません。
それは、ご家族様も同じです。
前者を使用すれば、場合によって意識はもうろうとします。
関わっている側は眠っているご本人が痛みから解放されている気持ちになり、若干の安堵を得ます。
「その人らしさ」はどこに存在しているのでしょうか?
核家族化や医療の進歩で、人の最期が遠いものになりました。
在宅でなくなる方は限られています。
ご自身の人生や親御さんの人生がどのようなものであってほしいか、突然病気になられた方を見るたびに、日常「死」に触れない方たちにも考えてほしいと思うんです。




