
私が通った看護学校には、本物の骸骨の標本がありました。
創設者のものです。
創設者がこの世を去った後、抜け殻となった骨をみんなの学びの一助にするようにと遺したものでした。
彼は、もともとキリスト教徒で、戦中に結核を患った人々をかくまった人でした。
食事を提供し、療養の場を提供しました。地域からは出ていくように言われ、転々と移動しながら、人々の世話を続けました。
伝染するという理由から、地域の支援もなければ、地域の人からは避けられ、ひとつの場所に留まることもできませんでした。(当時の先生の弁)
いよいよ経済的に続けられない、明日の食事もないという状況の時、彼の活動を知った昭和天皇が現れました。
「あなたの取り組みは素晴らしい。」支援を受けることができたのです。
彼は、日本の福祉に貢献し、憲法の制定にも関与しました。
日本で初めて特別養護老人ホームを開設し、ホスピスを開いたのも彼が最初でした。
一人の人へのかかわりから始まった取り組みが、日本を動かす大きな活動になったお話です。私は母校で学べたことをずっと誇りに思っています。
現場の看護師さんたちが、授業にやってきて実際の看護の様子を写真を用いてお話ししてくれました。常に生きた学びがそこにありました。
どう患者に向き合い、どういう看護師であるのか。どういう自分でいるのか。
当時にしては珍しく、看護学校でありながら産業保健の勉強をさせてもらえました。
私は、生活と病気の関係をそこで真剣に考えました。
出した答えは「予防」でした。
患者さんに向き合うときも、地域の方と向き合うときも、そして職場でお仕事されている方に向き合うときもいつも基本にあるのは彼らの行いから学んだものです。
私は今、受け継いだ「その人らしさ」や「その人の生きる」を支えること。そして「できることは何でもやる」という姿勢を次の世代に伝えていく大切な時期を迎えています^^
姿勢に責任を持ち、日本の誇りになる看護を・・・。
選挙が近づくたびに創設者を思い出すので、このタイミングにお伝えさせていただきました。




