
先日、高齢女性Yさんのもとに区からプレゼントが届きました。
彼女が住んでいる区では、米寿など節目を迎えた高齢者に何かしらプレゼントがあります。年々その予算は削減されているものの彼女は楽しみにしていたのです。ところが、届いたのは幼稚園の子どもが描いた絵1枚。実際に見せてもらったところ、クレヨンで描いた人物が数名描いてあり、幼稚園の名前もなければ描いた本人の名前もありません。きっと子どもの個人情報保護が目的なのでしょう。封書に同封されていた区からのメッセージには、ありきたりの祝福の言葉に続き、「区内の幼稚園の子どもたちが心を込めて描きました」との文章が。
Yさんは、そのプレゼントに相当怒っていました。
「実の孫とか知ってる子が描いてくれた絵ならうれしいけど、どこの誰だかわかんない子からもらってもちっとも嬉しくないよ」。
彼女の怒りにはとても共感できます。中には素直に嬉しいと思う高齢者もいるかもしれませんが少数派でしょう。まして彼女には子どもがいないのです。高齢者はみんな子ども好き、子どもが描いた絵なら、それが見知らぬ子どもでも誰もが喜ぶはずだというのは大きな間違いですし、予算がないからといって子どもの絵でお茶を濁す態度も納得いきません。描いた子どもだって、会ったことのない不特定の高齢者に対して、どう心をこめて描けばいいのか困ったことでしょう。
区は、低予算による事業実現のため、敬老精神の育成という名目で幼稚園児たちを利用したとしか思えません。Yさんは豪華な品物がほしいわけではないのです。「例年通り何か贈り物をしなくちゃ。でもお金がないから子どもの絵でいいや」という区の姿勢に怒っているのです。上っ面のお祝いなんかいらないってことなのです。例えば、幼稚園に招かれて一対一で似顔絵を描いてもらうといった試みなら、嬉しいかどうかはともかく、少なくとも納得できたのではないでしょうか。
プレゼントとは、相手の顔を思い出して選び贈るもの。自治体の事業といえども贈る心の基本は同じです。




