
人類の死亡率は残念ながら100%です。
高齢者と関わっていると、時々考えることがあります。どんな風に送ってあげられるだろうかと・・・。
私には忘れられない「死」がいくつかあります。きれいな「死」ばかりではありません。
病院で看護師をしていた時に経験した「死」
心不全で入院してきたその方。心臓の負担を軽減するお薬を点滴の中に入れて、
心臓の力を助ける治療を開始しました。
治療を開始して数日間、経過は良好でした。
日に日に心臓は弱り、水分をうまく外に出すことができなくなりました。
お薬がどんどん増えていきました。
体の中の毒素を排泄できないために、透析を行いました。
(透析は、機械を使って体中の血液を総入れ替えするものです。)
呼吸がうまくできなくなったので、気管に管を通して機械の力を借りました。
のどの痛みや、点滴の痛みがひどくご本人がつらいので麻酔薬を点滴に入れました。
ご本人とコミュニケーションをとることが難しくなりました。
経過が長くなったので、気管から直接空気を送れるように首に穴をあけました。
体の中の水分を排泄できないので、体はどんどん膨らんでいきます。
胸にも水がたまりました。このままでは心臓の負担が大きくなります。
胸に穴をあけて、管を通して外に出しました。
治療の甲斐なく、命が失われました。。。
治療をやめてほしいということ。それは死を意味するかもしれません。
自分が息の根を止めたと罪悪感に駆られるかもしれません。
ご本人は何を望んでおられるのでしょう?
大好きなご両親の最期がどんな風であってほしいですか?




