
私は早起きする方が集っている場に参加させていただいています。
朝5時からスタートです。集まっている方々の年齢層はやはり高め。
最期を迎える準備をします。という表現や、後始末をきちんとしますといった表現をよく耳にします。
彼女たちは「死」を忌み嫌うものとしてとらえていません。
人間を器質的な物としてではなく、精神的な存在ととらえているからです。
「亡くなられたご主人といつも一緒にいる」とか、「向こうに行って会う時にあまりにしわしわだと気付いてもらえない。」とをおっしゃった方もいました。
私が看護学生だった頃、「死」や「病気」は怖いものでした。実習に参加して病気にならないことが大事だと考え、病気から逃げるように予防に走りました。
高齢者の方々と関わっていると、「病気」も「死」も怖いものではなく、「付き合うもの」「たどり着くところ」だという気持ちになります。
誰もが一度はかかり、だれもがたどり着く終着点。そんなものが「病気」であり、「死」だとするなら、忌み嫌うものではなく、美しく、穏やかなものであってほしいと願うのは私だけでしょうか?
現在の医療では、およそ80%の方が病院で亡くなります。残り20%の方たちも一部は施設などでなくなるというのが日本の現状です。
「住み慣れた地で生活したい。住み慣れた地で最期を迎えたい。」
以前は多くの方が自宅で亡くなりました。それが「当たり前」だったのです。
時代によって、「当たり前」は変化します。これからの「当たり前」を創る私たち。
皆さんはどんな「当たり前」が欲しいですか?




