
歳を重ねると当たり前にできていたことができなくなります。だんだん足腰が弱くなり、何をするにも時間がかかるようになり、物忘れも多くなり、いわゆる老化が進んできます。
食事や運動などの生活習慣で老化の進み具合に個人差が出ることはあっても、老化そのものは自然現象で、人間である以上避けることはできません。
誰でも知っているその真理ですが、実際に自分の身に起こるとそれを受け容れるのは難しい。これも性格や考え方で個人差があるのでしょうが、私の母には大きな難題のようです。
母は筋力が弱って転びやすくなっているので、体操をしたりなるべく歩くようにして筋力低下を防ぐ努力をしていますが、なかなかその努力は実を結びません。いえ、やらないよりはきっと筋力低下の速度を遅くしているのだとは思いますが、良くなることはないので本人は実感できません。
「医者の言うとおりにやっても全然よくならない。あの医者は嘘つきだ!」
「老化なんだから良くなることはないのよ。お医者さんもそう言ってたよね。でもやらなかったらもっと早く歩けなくなっちゃうのよ。」
「他の人はちゃんと歩けているのに、なんで自分だけこんなふうにならなくちゃいけないの。早く治したい。」
「歩けなくなっている人もたくさんいるのよ。そもそも歩けない人は町で見かけることはないんだから。何回も言ってるけど、老化の速度を遅らせることはできても、治すことはできないのよ。」
「私は人より老化が早い。」
「もう80歳を超えてるんだから、人より早いことはないと思うわよ。」
こんなやりとりが私と母の間でしょっちゅうされています。母にはっきりと「治らない。」と言い切るととても悲しい表情をします。母の慰めにはならないので時々心苦しくなりますが、早く受容できるといいなと思い、今日も同じセリフを繰り返すのでした。
母を見て思うのは、あたり前のことができないと思うから受容できないのだということ。「自分の足で歩ける」こと自体が当たり前ではないということに気づくことが、受容につながるのかなと思います。
でも、当たり前に走ったりしている私がそのことを言ったところで、母に納得させることができる訳もなく…。(泣)
母の気持ちに寄り添いながら受容を助けていけるような声掛けはどんなものなのか、まだまだ探索中です。




