
言葉の持つ力を痛感するときがあります。先日、こんな話を聞きました。
病院の窓口業務をしている若い女性と高齢男性患者のエピソード。その病院では診察券を機械にタッチすると印字された紙が出てきて、それを窓口に出すというシステムになっていました。ところが、一人の高齢男性が、機械が反応しないと怒鳴り散らしていたとか。
窓口の女性が、すぐさま男性のもとへ。彼が持っていたカードはパスモ(電車やバスのICカード)だったのです。女性は、何て言ったと思います?
「申し訳ありません。この機械は、まだパスモには対応していないんですよ。今日は診察券でタッチしていただけますか」。
機転の利いたすばらしい対応ですよね。もし「それはパスモですよ。診察券でタッチしてください」と言われていたら、高齢男性は今さら引っ込みがつかず、ますます怒りがエスカレートしたでしょう。彼女の言葉で男性も救われたのです。
それ以降、彼は来院するたびに、どんなに患者が並んでいても、彼女の窓口にしか並ばなくなったそうです。
「傾聴」は介護者にとって基本の姿勢ですが、これがなかなか難しい。
特に、明らかに間違っていたり自分とは考え方が異なる発言があると、「そうですね」は言いたくない(笑)。窓口女性の対応は傾聴のお手本ですよね。間違いを指摘しても、相手を傷つけていません。
言葉を発することで、自分が楽になるということもあります。
私が訪問介護にうかがっていた高齢男性の話です。彼は、つい最近妻を亡くし一人暮らしになりました。妻に怒鳴り散らし、ヘルパーにもきつい言葉をぶつけていた横暴男はどこへやらというほど寂しそうな様子でした。
そんなある日、男性が小さな声で私に何か言っています。「なんですか」と聞くと「そばにおってくれ」。寂しい心情を誰にも言えず、一人で抱えていたのでしょう。寂しさを口にして周囲に気持ちが伝われば、自分も少しはきっと楽になるはずです。寂しさを受け止めてあげる。これも傾聴ではないでしょうか。




