
「わかるかいご」の相談で、80歳の認知症のおばあさまが食事をとらなくなり心配だ、という内容が書き込まれていました。
「長生きをしたい」と言いながら、食事を勧めても「ほしくない」「お腹がすいていない」というおばあさま。入居しているグループホームでは、このままでは命に係わるかもしれないから、胃ろうでの栄養補給を考えたほうがいいかもしれないという提案があったそうです。
「食べないと長生きできないよ」と相談者の方が声をかけても、おばあさまは「そうだねえ」というだけで食べてくれず、泣きたくなる、と書かれていました。
これに対して、様々なアドバイスが書き込まれました。
中でも多かったのは、胃ろうにして長生きすることがおばあさまにとって幸せなのだろうか、という意見。
年を取り、徐々に食べられなくなるのは自然なことであり、人はそうして人生を終えていくもの。それを胃ろうという、特殊な手段で長引かせるのはいいことなのだろうか、という意見が複数見られました。
相談者の方は、これは自然な死への道のりかもしれないと思いながら、しかし、それを受け入れられない気持ちなのだと答えます。
長生きしたい、というおばあさまの思いは、胃ろうにして長生きしたいということではないだろうとわかっていても、このまま何もせずに見守る決断ができない、と。
みなさんだったらどうでしょうか。
本当に難しい判断です。
唯一絶対の正解などないところで、本人や家族が納得できるより良い答えを見つけていく。そこに介護の難しさがあります。
相談者の方はこうしたやり取りを通して様々な意見に触れることで、気持ちを整理し、自分なりの答えを見つけていこうとしているのかもしれません。このような難しい判断と向き合うのはとても苦しいことです。
しかしこうした深い体験は、自分自身の根底にある価値観と向き合う機会ともなります。そして、その体験は苦しさだけでなく、何か人としての大きな成長ももたらしてくれるようにも思います。




