
私が保健師をしていたころのお話です。当時は、閉じこもりが認知症の始まりになると、保健師が訪問に伺い、外出を促すということをしていました。
私が新人の頃、先輩から引き継がれたAさんは人に会うのが嫌という方でした。
ひざの痛みが強く、手術を何度も受けましたが、痛みの改善が見られず、よりひどくなったことから、外出する際は車いす。家で過ごすときにはほとんどをソファーの上。お買い物も、家事もご主人がします。
私はAさんのお話に耳を傾けました。若いころは日本人形を作ったり、裁縫をしたり、地域の相談役のような人でした。人を助けることが大好きだった分、助けられることに抵抗を示しているようにも見えました。
毎月、隣町まで受診に行く様子を知っていたので、検査の結果を一緒に見て相談しました。食事はどんなふうに気を付けたらいいか。先月と比べて検査の結果がどうだったか?そんなことを毎月お話している中で、検査結果は改善し、家事も座りながらご主人を手伝うようになるなど、笑顔が増えていきました。
外出を勧めるたび彼女が言ったことは、「こんなみっともない恰好を誰にも見られたくない。」ということでした。彼女は車いすに乗っていることを受け入れられずにいました。
訪問を繰り返し、外出を促し続けたあるとき、何十年と行っていないお墓参りに行きたいといいました。周囲はびっくりしましたが、彼女の希望にこたえようと、3時間かかるお墓参りにご家族の協力で行きました。
皆でお昼を食べたこと。お店の急な階段を親族皆が彼女を抱えて上り下りしたこと。嬉しそうにお土産話をしてくれました。
帰ってきた彼女は自信がついたのか、外に出てお買い物をするようになりました。
デイサービスも使うようにもなりました。保健師の役割は終了です。
そして、2年後。
朝起きた彼女は胸が苦しくて、動けずにいました。病院に行こうというご主人に、絶対嫌だと何度も拒みました。それでも、何度か目に、息子が車で迎えに来てくれるなら行く。と言って、息子さんが隣町から来るのを待って車で病院に行きました。
息子さんの車にご主人に支えられた彼女は、体が温かくなった。よかったぁ。とご主人の胸にもたれかかりました。
病院についたとき、彼女の息はありませんでした。
ご主人は、自分が隣にいながら、何もしてやれなかったと自分を責めました。でも、私はAさんらしい最期だと思いました。
大好きな息子さんと、ご主人と車とともに迎えた最期が私にはうらやましくも思えました。




