台風15号、19号の被災に遭われました方々にお見舞い申し上げます。
まだ通常の生活に戻られていない方々に心よりお見舞い申し上げます。
12日、関東にこれまでにない規模の台風が上陸しました。夜間に自治体の放送が何度もあり、避難勧告や河川の決壊の恐れなどがアナウンスされました。放送は暴風雨で十分聞き取れず、ほぼ同時にスマホに連絡が入る同じ内容の緊急連絡で確認をしました。幸いなことでしたが、自宅近くでは川の決壊はなく、浸水被害などもありませんでした。しかし、自宅近くの川の上流では決壊の危険があり避難指示が出ていましたので、本当に不幸中の幸いだったのかもしれません。
台風が去った後、テレビで被災された町の状況をみると、町が一夜で一変してしまった、こんなことが、こんなに大規模に起きてしまうのか、と考えてしまいました。
2日後、都内から国道6号線を車で北上しました。途中、中川、江戸川、利根川を渡り茨城まで走りました。どの川も河川敷は水没して、茶色い水面から木々が覗き、河川敷はこのあたりまであったと確認できました。ある程度は予想していましたが、水面が橋げたの上方部に迫っていたことが分かりました。橋が落ちてしまった川もありましたから、本当に凄まじかったのだと改めて思いました。
利根川を渡るかなり前から、川のにおいがしてきます。橋を渡っていると、横で、電車が橋を走っているのが見えました。普段であれば、水面は随分下方に見えるはずなのに、電車までの距離がとても近く、あの電車に乗車していたら窓の下にすぐ水が見える状況だったのではないかと想像し、ゾッとしました。
用事を済ませ、同じ道を戻ってきました。行きはスムーズに流れていた道路は、帰りは混雑していたためゆっくり走行していましたが、利根川を渡りながら、何か違和感がありました。河川敷の幅を考えても川幅が広すぎる。往路では気づかなかったのですが、水中に電柱が立っているのです。周囲に住宅はなく、非常に広いエリアに水中に電柱が何本も立っているのが見えました。土手は見たから利根川はもう渡り終わったはず。水面から木々が顔を出していて、ゴルフの練習場のある河川敷も水没していたけど、この電柱は何があったところだったのか?
この橋は、何度も車で走ったことがありました。車も混んでいたのでしばらく考えていました。そうだ、ここには田んぼがあったのだ、とようやく気が付きました。そのくらい、風景が変わっていました。この時に言葉を失っていました。その川を見ている年配の女性がいました。服装から農家の方のように見えました。身動きもせず、ジィっと川を見ていました。
日本は自然災害がとても多い。何度も何度も大きな災害に遭いながら、また再生していくしかない、ということなのかと思った日でした。