僕、中途障害者なんですが、介護を受ける立場として「がんばる」とか「努力」とかいうことが福祉の世界では、タブーとされることがどうしても違和感があって受け入れられません!ナゼ障害者が努力したらいけないの? そりゃ、障害は、どんだけ努力してもがんばっても障害の有る手足は動くことが無いから「ホネ折り損のくたびれ儲け」て事になります。だったらヘルパーを利用して介護してもらえばよろしいのです。あるいは、また残された身体の健常な部分を使って自分でガンバって20分掛けて被服するよりもヘルパーを利用して5分で被服したほうがいいに決まってます。だからと言って何でもかんでも努力や頑張る事を否定するのは、どうかと思います。努力するという事は、人間にとって人生をより豊かにより幸福な生活を実現しようと思って成長向上しようとするための尊い営みなはずなのにもかかわらず僕の周りにいる社会福祉に従事している(障害者支援組織等)彼らは、異常に「努力」だとか「頑張る」だとか言葉を出しただけで過剰反応して「イヤ!そうじゃないんです!頑張らなくてよろしいんです!努力する必要は、無いんですよ○○さん、それは、利用者様が、かえってご負担になりますのでお止めになってください」!て一事が万事こうですわ(呆)。ある支援者などは、「○○さん、努力なんて別に人間の美徳じゃないっすよ」、て自信ありげに発言してました。僕自身「日常生活動作」の中でこの場面は、自分で無理せずヘルパーに介助してもらったほうが楽だな、とか安全だなとかの判断や選択の感覚は有るのに、その種の彼らは、やたらめったら利用者が積極的に物事に取り組もうとしたり自発的にある目的に向かって努力しようとしたりすることに関して否定したり制止したりするのです。確かに介護する立場としては、無事故を目指して利用者の安全を気にしてやってるんでしょうけど利用者の僕自身が主体性を発揮して自己責任に基いて取り組もうとしているのを止めに入って。利用者の始発能動の意欲をシラケさせるわけです。(呆)これでは、障害者福祉で目指している身体障害者の地域意向や「自立生活」や「自決権」の芽を自分達が摘んでいることになりは、しないかと憂慮している昨今です。これじゃ、ある種努力否定ていう「思想統制」です。ファシズムですよ、ホントに辟易します。
会員登録すると、気になる相談をフォローして新規の回答があった場合に通知されるようになります。