毎回、講師陣と内容のユニークさで多くの介護関係者の注目を集めている老人介護の研修会「オムツ外し学会」(主催:生活とリハビリ研究所、雲母書房)が、12月12日、東京都内で開催された。
3つの会場に分かれた研修会のなかから、ここでは石飛幸三氏の講演「介護現場の平穏死」をお届けする。
『「平穏死」のすすめ』『「平穏死」という選択』の著者としても知られる石飛幸三氏は、かつて東京済生会中央病院の血管外科医として長く活躍し、一時は医師ランキングの1位になるなど、急性期医療のトップランナーとしての華々しい経歴を誇っていた。それが一転して特養ホームの医師として勤務することに。そこで見たものは――。
■あの世で父に叱られる
呉服を商う商家に6人きょうだいの末子として生まれ、なに不自由なく育った石飛氏は、長じて医師となってから、糖尿病だった父から「(自分の)意識がなくなっても余計なことはするなよ」と、暗に延命拒否を言い渡されていた。その後、脳梗塞で倒れ、呼吸困難であえいでいた父を見て、医師として放っておけずに気管切開を行う。しかし父は意識が戻らないまま3カ月後に亡くなった。
この経験から石飛氏は、「自分が逝ったら、あの世で父に叱られる」としみじみと述懐する。そんなことを考えるのも、年を取ってきた自分(現在77歳)が、いろいろなことができなくなってきたり、ジョギングで顔見知りだった同年輩の仲間が、あるときからプッツリ姿を見せなくなることが続き、「夕陽を眺めながら、いつかは自分も逝くだろうな……としみじみ感じることが多くなった」という。
■飛行機はいつかは着陸する
半世紀以上、血管外科医のトップランナーとして活躍してきた石飛氏は、その後、特別養護老人ホームの医師に就任。そこで見たものは、胃ろうにつながれた老人の姿だった。
「これまで自分が救ってきた命の結末がこれか」と愕然としたという。入所者が死にそうになると病院へ送り、さらにさまざまなチューブにつなぎ延命を図っている。自分の意志では死ぬこともできない高齢者の群れが、そこにはあった。
かつて外科医として「飛行機(命)は飛ばし続けなければいけない」という世界にいて、それが当たり前だった石飛氏が、特養で「食べなくなったら胃ろう、脱水したら無理やり補水」という現実を見て、「飛行機はいつか必ず着陸する。その時、燃料は積まないほうが軟着陸できる」と、絶妙の比喩で平穏死のすすめを説いた。
■ほっとけ、自分の人生だ
現在、30~40万人といわれる胃ろう患者の多くは、高齢者の延命のためとも言われている。さらにその多くは、意思表示すらできず、ただ生かされているだけの命だ。
石飛氏は、人生の終わり方について、「“ほっとけ、自分の人生だ”と放言できるほどの自立心が必要で、人に決めてもらうのはおかしい」と強調。そもそも、高齢者の延命のために胃ろうを推奨しているのは日本ぐらいのもので、福祉先進国の北欧やオーストラリア、オランダなどは、老いて先がない状態になったら、胃ろう、点滴、人工呼吸、人工透析、抗生物質の投与も行わないと、国が定めているという。
そして最後に、会場を埋めつくしていた介護の世界で働く人々に向かって、「どうか皆さん、じっくり見てください。その人の本音はどうなのか。我々自身が本質を見極め、本当に役に立つことをしよう」と訴えた。
半世紀以上も「治して救う」外科医だった石飛氏が、「自分の生きがい、使命はどこにあるのか、この年になってやっとわかった」と語る。それが「平穏死のすすめ」であり、いつかは生物体としての限界がくる人間が、本来たどるべき自然な死の姿なのかもしれない。
■関連記事
・<胃ろうは罪か>『「平穏死」という選択』石飛幸三著 発刊
・特養の常勤配置医が執筆した『「平穏死」のすすめ』発刊