「認知症の人のターミナル医療・ケア研究会」は、9月2日、東京都内にて「認知症の終末期をかんがえるフォーラム2012」を開催した。
パネルディスカッションでは、さまざまな立場の人が終末期とどう向き合い、どのような問題を感じているかが語られた。
在宅で、実母を9年介護した鳩ケ谷市民大学運営委員長の佐多薩雄氏は、医師から「このままだと2週間」と延命治療を提案され、きょうだいに相談して一任された時の苦しみを語った。「母の気持ちがわかっていれば…どの方法が92歳の母の尊厳を守ることができるのか、一晩寝ずに考えました」。結局延命治療は行わず、それまで以上に丁寧なケアをし、4ヵ月後に母を看取った。「今はそれでよかったと思っているが、延命してもしなくても皆悩むものです」。
小規模多機能の事業所を運営する立場から在宅介護について語ったのが、東洋大学ライフデザイン学部准教授の柴田範子氏。事業所を見学に来る家族は、在宅で介護したいという希望を持っているが、当初から「最後まで家で」と言う人はいないそう。「介護するうちに、徐々にこういう方法なら家で看取れるかもしれない、と思うようになります」。また、小規模多機能として看取りに関わったケースも語られた。
永島光枝氏(認知症の人と家族の会千葉県支部世話人)は、12年間脳梗塞で倒れた実母の介護に従事。終末期の問題はさまざまな介護、看取りの経験を聞き、理解していくことが有効としながら、「家族や本人の歴史はさまざま。事例主義は大切にしておいた方がいいと思う」と、看取りが画一化されることへの疑問を述べた。また、自分自身のこととして、「経管栄養や胃ろうはしたくないと思うが、事前指示書に書くのは怖いという気持ちがある」と語った。
実母を10年介護し、介護関係の著作を持つフリーライターの野田明宏氏は、「とにかく母と長く一緒にいたかったので、胃ろうを選択した」と自身の経験を述べ、「介護も終末期の過ごし方も100人100様だと思う」と語った。
今年3月に母を看取り、現在も燃え尽き症候群のような状態にあるという野田氏の話を受け、武田氏が、認知症のターミナルでは亡くなったあとの家族のケアも考える必要性について言及。また、司会の中村氏が、宮永氏の基調講演も引用しながら、日本とは異なり、スウェーデンでは認知症の緩和ケアが行われ、そこには家族支援も含まれていると語り、「病院から在宅へという動きがある今、終末期を議論する前の在宅ケアの原型づくりを議論することが必要ではないか」と訴えた。
認知症の終末期を考える時、胃ろうの是非ばかりが言われがちだが、意思決定や手続きの問題、適切な手続きを経ても割り切れないだろう家族の気持ちなど、さまざまな問題があることが浮かび上がった今回のフォーラム。このような場を数多く設けることで、認知症の看取りの問題が広く社会的な議論へと発展することを期待したい。
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