「認知症の人のターミナル医療・ケア研究会」は、9月2日、東京都内にて「認知症の終末期をかんがえるフォーラム2012」を開催した。
医学的・倫理的・社会的・文化的な問題をはらむ認知症の人の終末期について、議論を深めることが同フォーラムの目的。専門家による基調講演に続き、医療・介護に携わる人、認知症家族の家族が参加してのディスカッションが行われ、胃ろうや意思決定などについて意見が交わされた。
基調講演では、まず、ゆきぐに大和病院院長で同研究会代表の宮永和夫氏が「認知症の人の終末期とは?」とのタイトルで、ディスカッションの前提となる問題点を提示した。
終末期とは、「適切な医療を受けても回復の可能性がなく、死期が間近に迫った状態」。しかし、どこからが「間近に迫った状態」かの判断はむずかしく、「とりわけ認知症の場合、がんのように終末期を予測することは困難で、自己決定能力という点でも問題があります。認知症の終末期については、認知症の人のターミナル医療・ケア研究会の会員でも考え方はさまざま。そこを意識して今日の議論を聞いてほしい」と宮永氏。
がんの場合、診断・告知後に緩和ケアの思想を取り入れ、終末期を迎える段階で最終的な緩和ケアが行われる。「身体的な痛みだけではなく、心理的・社会的な悩みにもアプローチし、さまざまな職種が連携して緩和ケアを行うのが最近の動きです。認知症も同様の方法がよいと思われますが、終末期の告知がなされず、最後を迎えているケースがほとんど。医療者が診断して亡くなるまで患者とつきあい、最後を看取れるよう、認知症の終末期についての考えを深めていきたい」と述べ、議論へと引き継いだ。
続いて、内科医師で、東京大学大学院医療倫理学分野客員研究員の箕岡真子氏が「認知症の人の終末期“看取り”における倫理問題」のテーマで、主に倫理・法的な側面からの看取りの条件について解説した。
認知症の末期で本人が意思を表明できない場合、適切な看取りに入るために考えるべきこと、踏むべき手続きとはどのようなものか。胃ろうをすすめられたケースを想定し、異なる3つの例が提示された。
Aさん:本人が延命治療を望んでいなかったので、胃ろうをしなかった。
Bさん:本人の意思は伝えられていないが、元気だった時の考え方と現在の表情から家族が推測し、胃ろうはしなかった。
Cさん:本人の考えはわからないが、家族が「お母さんと一緒にいたい」と胃ろうを選択した。
Aは本人の意思に基づいて家族が決定。B・Cは、家族による判断だが、Bが本人の願望を推定しての判断なのに対し、Cは家族による自己決定にあたると解説。
「本人が意思決定できない時は、家族が代理判断しますが、倫理的・法的に望ましいのはA。それができない場合は本人の意思を推定する代行判断、それも難しい場合は、何が本人にとって最善なのかを考える最善の利益判断です。Cの場合、それは本人の意思願望をちゃんと反映しているのか、家族自身の願望なのかを区別する必要があります。つまり、適切な家族が、適切な代行判断で最善の判断をすれば、胃ろうはしてもいいし、しなくてもいい。問題は結論ではなく、その結論を出すためのプロセスです」と箕岡氏。
代理判断に伴う問題を未然に解決するのが「事前指示書」。重い病気にかかり、自分の意思を伝えることができなくなった時、自分に代わって医療やケアに関する判断・決定する人や、望む医療処置と望まない医療処置などを決めておく。患者が自己決定する権利を尊重するだけではなく、家族の心理的苦悩を軽減したり、医療・介護従事者の法的責任回避にもなるものだ。
「事前指示書は、患者と家族、医療関係者・介護専門家との信頼関係を形成するためのコミュニケーションツールになり得ります。事前指示書を作るか、できない場合は、『その人ならどのような判断したのか?』と普段から家族で話し合っておくことも有効です」と述べた。
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