2011年4月、富山県、福井県、横浜市において焼肉チェーン店を利用した人が 腸管出血性大腸菌O-111による食中毒を発症し、死者5名に及んだことは記憶に新しい。
東京大学大学院医学系研究科の水口雅教授、亀田メディカルセンター小児科の高梨潤一博士、富山大学医学部附属病院小児科の種市尋宙博士らは、この事例を分析することにより、腸管出血性大腸菌O-111による脳症の臨床症状の特徴とその新しい治療法の効果を明らかにした。
O-157やO-111に代表される腸管出血性大腸菌の感染者は大腸炎を発症する。大腸炎患者の一部は溶血性尿毒症症候群を、さらにその一部は脳症を併発することが知られている。現代の医療では、溶血性尿毒症症候群までは透析などの集中治療により救命可能だが、脳症には有効な治療が乏しいため、死因の大多数は脳症が原因。このため、脳症の治療法開発は急務となっている。
今回の事例では、34名が溶血性尿毒症症候群、21名が脳症を併発し、5名が死亡しており、溶血性尿毒症症候群や脳症を合併する重症患者の割合が、過去の事例に比して特に高いことが明らかとなった。また、死亡した5名は、大腸炎から脳症発症までの時間が短く、脳浮腫が急激に進行して死に至っている。搬送から死亡までの間に、ステロイド治療を受けた者はいなかった。
これに対し、脳症を発症して生存した16名中、15名は後遺症なく回復している。回復した者のうち11名がステロイド治療(メチルプレドニゾロン・パルス療法)を受けており、脳症に対するステロイド治療の有効性が示唆された。
ステロイドには、炎症性サイトカイン(細胞から分泌され、炎症を強め、発熱、組織の腫れ、機能障害などの症状を引き起こす物質)の過剰な作用を抑制する効果がある。従来からインフルエンザ脳症などでは、炎症性サイトカインの病的意義が解明され、ステロイド治療が広く行われてきたが、これに対し腸管出血性大腸菌による脳症では長年にわたり、志賀毒素の役割が最重要視されてきた。このため、志賀毒素を除去する試みはあったが、ステロイド治療は行われていなかった。
ところが近年の日本の研究で、腸管出血性大腸菌脳症患者の血液でも炎症性サイトカインが増加しているという重要な事実が判ってきたため、今回のO-111集団食中毒事例で脳症患者の治療にあたった種市医師らは、この情報にもとづいて、ステロイド等の炎症性サイトカインを抑制する治療を2011年の5月から積極的に導入。その結果、同年4月中に脳症を発症した患者(ステロイド治療を受けなかった)に比し、5月になってから発症した患者(多くがステロイド治療を受けた)の治療成績は、際立って良くなった。
今後の研究を通じて、より確実性の高い証拠を積み重ねてゆく必要があるものの、今回の研究により、ステロイド治療は腸管出血性大腸菌の脳症における有効な治療法として有望な候補であることが明らかとなった。
◎東京大学
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