線路への飛び込みや接触事故など、電車遅延につながる事故を起こした場合、事故を起こした当人・遺族に莫大な損害賠償が請求される。迷惑行為として当然のことのようにも思えるが、8月初旬、名古屋地裁で認知症男性の列車事故について、遺族に約720万円の賠償金支払いを命じる判決が下ったことはご存じだろうか。
■わずかな隙に行方不明に
これは、2007年に当時91歳の認知症男性が、JR東海道線共和駅(愛知県大府市)の線路に入り、列車と接触して死亡した事故についての損害賠償訴訟への判決。JR東海は、電車の遅延や振り替え輸送などの損害について、その賠償金約720万円を男性の遺族に求めていた。
男性は同居する要介護1の妻(85歳)と、他県から介護のために転居してきた長男の嫁の介護を受けて、デイサービスなどを利用しながら自宅で暮らしていた。2000年の認知症発症から徐々に症状が進行し、2007年には常に介護が必要な状態となっており、要介護4だったという。
事故当日は、午後4時半頃、デイサービスから帰宅後、妻や長男の嫁とお茶を飲んで過ごし、嫁と妻が目を離した隙に外出。午後5時頃、嫁が男性がいないことに気付き、近所を探すが見つからず、午後5時47分に事故が発生した。
事故は予見できなかったとする遺族側に対して、名古屋地裁は医師の診断書などから徘徊を予見できたこと、出入り口にセンサーを設置していなかったことなどを理由として、JR東海側の賠償請求を全額認める判決を下した。この判決を不服とし、遺族は控訴している。
■時代に逆行した判決ではないか
しかし実際問題、在宅生活をしている認知症高齢者を、30分の隙も作らず常時見守り続けるのは不可能に近い。一人歩きをさせないためには、家にカギをかけ、閉じこめておくより方法はない。しかしそれは、一種の身体拘束にほかならない。時代に逆行した対応である。
この判決は在宅介護をしている家族だけでなく、認知症の高齢者を受け入れているデイサービスや入所施設にとっても重大な問題だ。事故リスクを恐れ、一人歩きの恐れがある認知症高齢者は受け入れない、という事業所や施設が出てくるのではないかと懸念する声もある。
列車事故が起きた際には、鉄道会社は多大な損害を受ける。そのため、理由の如何に関わらず、事故原因となった人やその遺族に損害賠償請求をするのは、鉄道会社としては当然のことかもしれない。しかし、この男性のように、身体機能が衰えていない認知症高齢者はどうしても一人歩きによる事故リスクをはらむ。そのリスクヘッジを、全て介護する家族の責任とした名古屋地裁の判決は、時代に逆行し、住み慣れた自宅で継続して暮らせる地域作りを進めようという地域包括ケアの理念にも反しているのではないか。
認知症高齢者がさらに増えていく中、今後もこうした事故が発生する可能性はますます高まっていく。その責任を、介護家族、介護者だけに負わせるのではなく、社会全体としてどうすれば防げるのかを私たちひとりひとりが考えていく必要がある。当てもなく一人歩きしている高齢者を見かけたら、地域住民が気軽に声をかける。そんな社会になれば、事故リスクは低減するはずだ。
公共輸送を手がけている鉄道会社は、こうした事故を防ぐため、社会に対し、認知症高齢者をいかにして地域社会で見守っていくべきかという問題提起をできないものか。そして司法は、多数の認知症高齢者を抱えていくこれからの地域社会がどうあるべきかに思いをいたした法解釈を行うことはできないものか。そう感じた判決だった。
◎参考記事
東京新聞 2013年8月29日
「遺族に賠償命令 波紋呼ぶ 認知症男性、電車にはねられJR遅延」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2013082902000171.html
宮下公美子(介護ライター)