11月18日、川口市立中央ふれあい館で、「この病気を知っていますか? 『前頭側頭型認知症』と『レビー小体型認知症』」セミナーが開催された。
セミナーの前半は、「前頭側頭型認知症の夫と生きぬいた8000日」というタイトルで、前頭側頭型の若年認知症の夫を22年間介護し続けてきた新井雅江さんが講演。認知症という言葉さえなかった頃から、今年3月に夫を看取るまでの体験を、愛犬とのエピソードも交えつつ、時に言葉を詰まらせながら語った。
業界新聞社の営業マンとして働いていた新井さんの夫の様子が変わってきたのは、40代後半の頃から。イライラして怒りっぽくなり、時には近所のバケツなどを黙って持って帰ってくるように。50歳のときに、「耳鳴りがする」と病院を受診。原因はわからず、今度は言葉を忘れるようになり、心療内科や精神科を受診するも、やはり原因がわからない。
結局、33年間務めた会社を退職せざるを得なくなる。
今度はしばしば万引きをするようになり、現行犯で捕まり、派出所へ。
ハローワークで警備会社の営業の仕事を見つけてくるも、1日目でムリと判断され、アルバイトのガードマンに。しかし、それもうまくはいかず、次第に仕事を依頼されなくなり、夜中に職場に忍び込んで嫌がらせをして、また捕まった。
その時に担当した若い警官から、「旦那さんは何かおかしい。病院に連れて行って、ちゃんと診てもらったほうがいい」とアドバイスを受け、埼玉県精神保健センターを受診したところ、「初老期痴呆症」ではないかと診断。
さらに、精神科の権威ある医師のもとに行ったところ、ピック症(前頭側頭型認知症)と診断された。
ここまでの間には、
「家を出て行っていい?」
「おまえがいなくなったら、ご飯も食べられない」
「じゃぁ、一緒に死ぬ?」
「俺は絶対に死なない」
そんなやりとりもあったという。
その後も、暴力、手に取ったものを何でも食べてしまうという「異食」と、問題行動はエスカレート。自宅で介護をすることはできず、病院と特養にお世話になってきた。
特養での出来事として、次のことを紹介してくれた。
異食がひどくなり、病院に入院したものの、改善がみられず特養に戻って生活をしていた。特養の職員たちが、大きめのミトンをかぶせたり、ガーゼで巻いた手にペットボトルをかぶせたりと、さまざまない工夫してなんとか乗り切ったときのこと。
「ありがとうございます」と新井さんがお礼を言うと、
「こちらこそお礼を言いたいです。いろいろ体験させていただいたおかげで、次に同じような人が入ったときに対応できます」と言ってくれたという。
「あまりの器の大きさに本当に感謝しました」と新井さん。
原因がわからないまま、性格や行動が変わっていく夫と一緒に暮らし支え、ピック症と診断され施設に入所してからも頻繁に会いに行き、20年以上にも渡って介護を続けてきた新井さんの話に、集まっていた人たちは、皆、熱心に耳を傾けていた。
※前頭側頭型認知症(ピック症)とは
第四の認知症とも呼ばれ、若年性認知症の一つ。前頭葉の器質的障害から生じる意欲低下や性格の変化、側頭葉の障害から起こる言語障害が特徴。
◎レビー小体型認知症 家族を支える会
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