日が短くなり、秋の深まりを感じる季節となりました。
ここ最近、天気の良い日が続いています。先日は自宅近くで、茜色の夕焼けを背にした美しい富士山を見ることができました。日か沈んでいくまでの空の色の移り変わりや風景が何とも風情があり大好きなのですが、私の拙い文章力では表現できそうもないので、かの清少納言の「枕草子」を引用したいと思います。
秋は夕暮れ。
夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。
まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。
<現代語訳>
秋は夕暮れ(が良い)。夕日が差し込んで山の端にとても近くなっているときに、烏が寝床へ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子さえしみじみと心打たれる。言うまでもなく雁などが隊列を組んで飛んでいるのが、(遠くに)大変小さく見えるのは、とても趣があって良い。すっかり日が落ちてから(聞こえてくる)、風の音や虫の鳴く音などは、言うまでもなく(すばらしい)。
デイサービスで働いていた頃は、帰りの送迎車から夕暮れの風景を楽しみました。そんな時、利用者のMさん(女性)は、決まって「(亡くなった)主人は湯豆腐が大好きでね、お酒と湯豆腐さえあればご機嫌だったのよ」と話して下さいました。湯豆腐の準備をしながら、ご主人の帰りを待つ夕暮れの時間が、Mさんの穏やかな日常だったのでしょう。肌寒くなってくるこの時期は暖かい食べ物が恋しくなります。私も子供の頃、「今日の夕食は大好きなシチューだったら良いなあ」と思いながら、夕日を背に家路を急いだものでした。
清少納言が生きていた時代に比べると、建物が立ち並び、どこからでも「山の端」を眺められるわけではありませんが、都会でも、高いビルの上や高台からは遠くの山々や美しい夕焼けを見ることができます。
介護や仕事などに追われていると、目の前のことにばかりに気が行ってしまいがちです。
少し遠くに目を向けて、夕暮れの風景を楽しんでみると、つかの間の休息になるかもしれません。